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燕市(分水地区)にある大河津分水に行きました。
1896年(明治29年)の「横田切れ」を受けて着手された大河津分水を造る土木工事は、1909年(明治42年)から1927年(昭和2年)の工期や、1,000万人ともいわれる人工のとおり、規格外の大事業でした。信濃川の河口から50㎞上流に日本海に抜ける分水路を設けたことで、越後平野の水害を防ぎ、新潟の発展に寄与しています。
写真は「旧洗堰」です。信濃川の川幅いっぱいに設けられ、増水時に下流への水量を調整する(分水路に流れる水量を増やす)機能がありました。1922年(大正11年)の竣工から2000年(平成12年)まで使用されていました。竣工時には堰の高さを可変させオーバーフローする水量を調整していたことから、1959年(昭和34年)にゲート式に改修されて水に洗われることが無くなっても「洗堰」と呼ばれました。2000年(平成12年)に竣工した新しい堰にも名前が受け継がれています。
2000年(平成12年)に信濃川の流れを変えたことで、旧洗堰には水が流れていないので近づいて観る事ができます。巨大なスケールとコンクリートの質感がすごいと思います。
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