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Orange Wanderer
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米沢市上杉博物館
 
 山形県米沢市にある「米沢市上杉博物館」で開催されている「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ~ウイリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで~」に行きました。
 上杉博物館は、常設展も含めて面白かったです。アーツ・アンド・クラフツ運動は建築史でも習っていましたが、実際の製品を観ることで知識が繋がるような感覚があり、良かったです。
 
米沢市上杉博物館

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長野県立美術館
 
 長野県長野市にある「長野県立美術館」に行きました。
 プランツアソシエイツの設計により前身の長野県信濃美術館をリニューアルして2021年に開館しました。
 吹き抜けのエントランスホールには、谷口吉生の設計による「東山魁夷館」への連絡ブリッジが設置されています。
 2つの建物と外構を一体に利用できる公園のような美術館でした。

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 山形県酒田市にある「土門拳記念館」に行きました。
 酒田市出身の報道写真家「土門拳」は、絶対非演出を提唱し、リアルを妥協なく追及する姿勢から写真の鬼と呼ばれ活躍しました。素晴らしい写真を観ることができました。
 建物の設計は「谷口吉生」です。湖畔の立地を生かした、水面と中庭や展示室が繋がるような空間設計が素敵でした。

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ゑしんの里記念館
 
 上越市板倉区にある「ゑしんの里記念館」に行きました。
 浄土真宗の開祖「親鸞聖人」の妻「恵信尼」の貴重な資料を展示するミュージアムと、カフェレストランなど観光拠点の機能を持つ複合施設です。これだけの施設ですがミュージアムなど無料で開放しているのは、佐川急便初代社長「佐川清」が上越市板倉区出身だからでしょう。
 水盤の中にに浮かぶ列柱と、木目のコンクリート打ち放しの壁が印象的な「池原義郎」の設計による洗練された建物です。コンクリート壁の端部や金物の納まりが美しいです。
 冬は雪で水盤が埋まっていました。列柱に雪囲いが取り付けられていて、実用的なものだったのだと思いました。
 

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谷村美術館
 
 糸魚川市にある「谷村美術館」に行きました。
 総合建設会社谷村建設の社長(当時)「谷村繁雄」の所蔵していた木彫刻家「澤田政廣」の作品を展示する、建築家「村野藤吾」設計の美術館です。
 澤田政廣が親交のあった「村野藤吾」に設計依頼することを希望したそうです。
 スタッコ仕上げに自然光を受ける不思議な設計は、洞窟のようです。小さいながら見所の多い美術館です。

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りゅーとぴあ 長谷川逸子
 
 新潟市中央区にある「新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ」に行きました。
 屋上庭園があるのは、設計者「長谷川逸子」によれば「真の芸術文化は原っぱから生まれる」からだそうです。
 屋上庭園と6つの空中庭園が空中歩廊(ペデストリアンデッキ)で繋がり、白山公園も含めて回遊できるようになっています。もともと県民会館と音楽文化会館があった場所に芸術文化会館を建てたのですが、芸術文化会館単体の設計だけでなく、全てを一体化したランドスケープが素敵です。

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小林古径記念美術館
 
 上越市にある「小林古径記念美術館」に行きました。
 美術館の設計は長野の宮本忠長建築事務所です。
 美術館の敷地内に「吉田五十八」の設計した小林古径の自宅を移築し、アトリエを再築してあります。
 美術館の意匠は高田らしさを感じさせつつ、吉田五十八の建築を邪魔しないよう考えられているようです。屋根のかけ方が良いと思いました。
 

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石油の里古代館

 
 中川理が「偽装するニッポン 公共建築のディズニーランダゼイション」で指摘したように、1980年代以降の公共建築に「親しみ」を求める風潮により、商業的で安易な装飾を纏った公共建築が溢れました。
 建築の人はこれらをキッチュと切り捨てます。このキッチュは、ファッション等の、あえて俗悪な感じを見せる外しの美意識ではなく、100%悪口です。
 

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大河津分水 旧洗堰
  
 燕市(分水地区)にある大河津分水に行きました。
 1896年(明治29年)の「横田切れ」を受けて着手された大河津分水を造る土木工事は、1909年(明治42年)から1927年(昭和2年)の工期や、1,000万人ともいわれる人工のとおり、規格外の大事業でした。信濃川の河口から50㎞上流に日本海に抜ける分水路を設けたことで、越後平野の水害を防ぎ、新潟の発展に寄与しています。
 写真は「旧洗堰」です。信濃川の川幅いっぱいに設けられ、増水時に下流への水量を調整する(分水路に流れる水量を増やす)機能がありました。1922年(大正11年)の竣工から2000年(平成12年)まで使用されていました。竣工時には堰の高さを可変させオーバーフローする水量を調整していたことから、1959年(昭和34年)にゲート式に改修されて水に洗われることが無くなっても「洗堰」と呼ばれました。2000年(平成12年)に竣工した新しい堰にも名前が受け継がれています。
 2000年(平成12年)に信濃川の流れを変えたことで、旧洗堰には水が流れていないので近づいて観る事ができます。巨大なスケールとコンクリートの質感がすごいと思います。
 

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 新発田市にある「新発田市役所 ヨリネスしばた」に行きました。
 低層部と高層部が中間免振層で分割されています。空のようなガラス張りの高層部の存在を分割することで、低層部は商店街の建物群と同じ高さに抑えられています。低層部に人々の集まる広場となる巨大な空間を設けています。市庁舎新築に当たって、中心部の商店街の空洞化対策や市街地再開発の機能を持たせるという設計者「ヨコミゾマコト」の狙いは明快です。
 執務室のある高層部にも入りましたがデザインに一貫性があって良いと思いました。カテナリー曲線に配した部材でフロアを吊ったり、免振シャフトを用いないエレベータ(シャフトは低層部と一体になっている)だったり、ペリメーターの空調対応だったり、いろいろと面白いことをしていて刺激的です。
 

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